※鉄道博物館公式Facebookにて2020年7月10日に投稿された内容となります。
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取手から先の電化が 進まなかった常磐線 技術の進歩が状況を打開していきます
1950年代の半ばになると、国鉄では交流電化の研究を進め、仙山線の一部区間を交流電化して実地に試験を行って実用化のめどをつけました。交流電化は車両費が高くつきますが、変電所をはじめとする地上設備への投資が少なくてすみ、輸送量の多くない地方路線を電化するには直流電化よりも経済的なことから、国鉄は以後の地方幹線の電化にあたっては交流電化で進めていくことにしました。そして1957年に北陸本線が、1959(昭和34)年には東北本線が交流で電化されます。 交流電化は20㎸という高電圧を使用するため、電流量は少なくなり地磁気観測への影響は少なく、常磐線に関しても国鉄の電化方針に従って交流電化が採用されることになりました。常磐線に交流化方式を採用するにあたって問題となったのは、どの地点で交直接続を行うか、切換方式を地上方式とするか車上方式とするかの二点でした。 これについては、(1)上野乗入案、(2)藤代地上切換案、(3)藤代車上切換案、(4)旅客列車は交直流両用として車上切換とし、貨物列車は地上切換とする(2)(3)の折衷案が検討されましたが、投資額、ランニングコストとも車上切換が有利との結論になり、取手~藤代間にデッドセクションを設置して車上切換を行うことになりました。 車上切換方式を採用した背景には、シリコン整流器方式の実用化により交直流車両の製造が容易になってきていたこともありました。この時期の交流電化技術の進歩は日進月歩で、常磐線は最新の技術を採り入れて電化され、その流れの中で旅客輸送に関しては、それまでの機関車が客車を引く方式から、機動力に優れた電車を主体とすることになり、その結果として車上切換方式が採用されたのです。 結果的には、取手~平間の交流電化に要した総工事費は53億2900万円(車両費のぞく)とされており、地上設備に関しては直流電化より安く済んだとされていますが、当初の地磁気観測所移転費用の見積もりよりは多大な経費を要しています。経済成長が何よりも重視された当時、常磐線の産業分野や都市交通に及ぼす経済的な影響はきわめて大きく、地磁気観測所の移転を優先させる動きがあっても不思議はないように思えます。しかし、それでも観測所の移転よりも常磐線を交流電化することで観測への影響を抑える努力が払われたことは、当時においても経済性よりも学術面が重視されたことの証左であり、戦後の国際社会での地位向上に資するためにも、世界的に展開されている地磁気観測の維持が重視された面もあると思われ、非常に興味深いところです。