※鉄道博物館公式Facebookにて2020年8月3日に投稿された内容となります。
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2020年3月14日 常磐線にとってこの日は 記念すべき日となりました
2011年3月11日に発生した東日本大震災による地震・津波被害、さらに福島第一原子力発電所の爆発事故により、常磐線は長期にわたる不通を余儀なくされました。特に福島第一原発の20㎞圏内にあたる広野~磐城太田間は立入りすらできなくなり、復旧までに長い時間を要することになります。除染作業の進行により徐々に国の避難指示が解除され、その動向を踏まえつつ常磐線も不通区間の開通が行われ、最後に残った富岡~浪江間(20.8㎞)についても、本年3月14日に駅周辺地域の避難解除に伴い運転が再開されたのです。 3月14日、全線運転再開当日の沿線は小雪交じりの冷たい雨が降り、あいにくの天気となりました。それに加えて新型コロナウィルス(COVID-19)の感染拡大により、沿線各駅で予定された歓迎イベントも軒並み中止となり、やや寂しい再出発となりました。とはいえ、9年ぶりに上野~仙台間で直通運転を再開した特急「ひたち」はどの列車も満席、沿線から手を振る方も多く、普通列車も地元の方たちや鉄道ファンで混み合い、熱気が感じられ、沿線の多くの方たちが常磐線の運転再開を心待ちにしていたことをうかがわせました。 不通区間に所在する夜ノ森、大野、双葉の各駅も、駅舎の改築が行われて装いを一新しており、ささやかながらも運転再開の横断幕が掲げられ、列車が発着するたびに、地元の方たちが数多く乗降していました。ただ、夜ノ森駅東口や大野駅の周辺はいまだに帰還困難区域に指定されており、駅前と道路以外はいまだに立ち入ることができず、大震災発生時のままの光景が展開しています。双葉駅も町の施設と合築された旧駅舎の時計は「14:46」と地震発生時刻を指したままで止まっており、これらの地域が地震発生時から時間が止まったままであることを実感させます。 常磐線の運転再開はゴールではなく、新たなスタートなのだ、ということをこの時計を見ながら強く感じました。そして鉄道が各地とつながること、交通インフラが整備されることは、地域にとって大きな力になる、鉄道にはそうした潜在的な影響力があることを改めて感じた一日でした。
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