常磐線 1枚の写真から vol.15


※鉄道博物館公式Facebookにて2020年8月27日に投稿された内容となります。

※該当記事のリンクは下部に記載。


今回ご紹介するのは 高架複々線化されて高架下駅となった 亀有駅のかつての姿です。


 現在では高架下に駅施設が入り、南口に広大な駅前広場を持つ亀有駅ですが、昭和30年代にはご覧のような地上駅で、モダンな駅舎が立ち、構内は2面3線の線路配置に加え貨物施設が置かれた、典型的な都市近郊駅の風情でした。


 写真1は1962年7月の撮影で、戦前製と思われるモダンな駅舎が建っています。出入口庇(ひさし)上の内照式の駅名標の奥には右書きで「亀有」と駅名標が取り付けられており、独特のデザインが施された書体が印象的です。また老若男女、さまざまな人が駅を出入りしています。和服姿で年配の女性、スーツ姿や開襟シャツの男性、子供連れの女性や、長靴に作業服で歩く男性などが見て取れ、さらに広場から駅舎への4段の踏み段の縁で遊ぶ女の子も見えます。駅は子供たちの遊び場にもなっていたのでしょう。ゲタ電駅の飾らない日常が浮かんでくるような写真です。


 写真2は1963年2月の構内の様子です。下りホームは島式でカーブしているため、写真の左端に中継信号機が建植されているのが見えます。上りホームは対面式で南側に切り欠きがあり、そこに貨物施設が設けられています。まだまだ小駅でも貨物扱いが行われていました。ちょうどD51 90号機が貨物列車をけん引して通過するところです。


 写真3はホームに停車中の有楽町行の電車です。常磐線からの旅客流入による日暮里~東京間の山手線・京浜東北線の混雑を緩和するため、1954年4月から1956年11月まで朝ラッシュ時に常磐線の上り電車が有楽町まで直通運転を行っていた時期の撮影です。先頭のクハニ67007は松戸電化時からの生え抜き車両で、張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダーの車体で戦前期の国鉄電車のオリジナルの姿を残していました。


 高架化、複々線化工事が行われると、駅の姿は一変しますが、亀有駅もその例にもれず1971年4月の高架複々線化により、その姿を大きく変えています。