常磐線 1枚の写真から vol.3


※鉄道博物館公式Facebookにて2020年5月28日に投稿された内容となります。

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 初夏の早朝  ようやく明けてきた景色の中を  特急列車が疾走してきます。


 この写真は、最後の蒸気機関車けん引特急列車となった夜行特急「ゆうづる」が、上野をめざして朝まだきの常磐線を駆け抜けていく姿を記録したもので、今から50年以上前の1966年頃に撮影されたものです。先頭に立つC62形は戦後の旅客需要の急増にこたえるため、貨物用のD52形のボイラーを転用し、新製した2C2の旅客機用の足回りと組み合わせて登場した機関車で、幹線での特急・急行など優等列車けん引を主な用途としていました。「つばめ」「はと」をはじめとした東海道・山陽本線の特急列車の先頭に立ち、東北地方最初の特急列車「はつかり」の運転に際しても同機が起用されました。

 しかし、軌道の頑丈な幹線での使用を前提としていたため、主要な幹線の電化が進むと活躍の場が狭められ、1964年に山陽本線が全線電化されると特急けん引から退き、これにより明治時代末から続いてきた、蒸気機関車の引く特急列車の姿は見られなくなりました。こうしたなか、1965年10月1日から常磐線初の夜行特急「ゆうづる」が上野~青森間で運転を開始し、当時まだ非電化だった平(現・いわき)~仙台間ではC62形がけん引機に抜擢されます。常磐線での特急けん引は1958~60年の「はつかり」の先頭に立って以来のことであり、同機の引退も間もないと思われていたため、C62形の「ゆうづる」への起用は“奇跡のカムバック”と言われました。しかし、1967年秋には常磐線の全線電化が予定されており、C62形による「ゆうづる」けん引はわずか2年と、当初から期間が限定されたものだったのです。 「ゆうづる」の仕業は、平~仙台間(151㎞)を20系客車13両という長大編成を引いてノンストップで、しかも2時間17分(下り)で走破するという過酷なもので、担当する平機関区所属のC62形の中でも、調子のよい機関車を優先的に使用し、石炭も高カロリー炭が使用されて、特に技能優秀な機関士・機関助士が乗務したといいます。急客機として生を受けたC62形にとって、その持てる性能をフルに発揮できる列車でもあった「ゆうづる」は、わずか2年の間でしたが、同機の特急けん引の歴史を締めくくる、最後の輝きを放つ列車でした。

 下り「ゆうづる」の平発は深夜で、当時の撮影機材・フィルムでは走行シーンの撮影はできず、上りの平着も6:05と早朝だったため、撮影可能な時期は夏至前後の数ヶ月間に限られていましたが、最後の蒸気機関車けん引特急列車の姿を記録しようと、多くのファンが沿線に駆け付ました。この写真もそうして記録された1枚で、早朝の常磐線を朝の斜光を浴びながら全力で駆ける姿は迫力満点で神々しくさえ見えます。漆黒のC62形の前頭部にはオレンジ色の「ゆうづる」のヘッドマークがひときわ映え、後ろに連なる20系客車のブルーの車体と好対照をなしています。モノクロ写真でありながら鮮やかな色彩を感じさせる1枚であり、さらに言えば常磐線が東北本線のバイパスルートとして輝いていた時代の姿を象徴する1枚でもあります。