常磐線 1枚の写真から vol.4


※鉄道博物館公式Facebookにて2020年6月26日に投稿された内容となります。

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今からちょうど100年前に 撮影されたこの写真 どの駅のものかお判りでしょうか?

 常磐線の貨物輸送の要・隅田川貨物駅です。同駅は常磐線沿線の炭鉱で採掘され、各駅から輸送されてくる石炭の東京側の到着駅として、1896年12月に南千住駅東方に開設されました。田端方・北千住方の両方面から進入可能なように貨物線が設けられており、東北本線・東海道本線とも連絡ができる配線となっています。  隅田川駅は名前のとおり、隅田川に隣接して立地し運河でつながっていました。明治期には自動車はまだ存在せず、道路交通は馬車や荷車などが中心で輸送力が小さく、短距離の輸送手段にすぎませんでした。そこで鉄道からの二次交通手段としては舟運が重視され、当時の東京市内に張り巡らされていた水路を通じて、消費地へと貨物が運ばれていたのです。隅田川駅構内には貨物の積卸線に隣接して船渠(せんきょ/ドック)が設けられ、ここで輸送船に石炭をはじめとした貨物を積み替え、隅田川をへて市内各地へと運ばれていきました。このように隅田川駅の立地は舟運との連絡を重視した結果、隅田川にほど近い現在地が選ばれたといえます。  写真は現在の吉野通り(コツ通り)と交差する踏切(陸羽街道踏切)付近で、ここから東側に広大な構内が広がっています。隅田川駅は田端側からは貨物線(隅田川線)を直進して構内へ入れますが、水戸側からは南千住~北千住間で常磐線の本線から分岐する貨物線(南千住線)を通っていったん田端側へ進み、スイッチバックして構内へ入る配線となっていました。さらに構内での入換作業でも頻繁にこの踏切を車両が行き来するため、この踏切は遮断時間が長く、開かずの踏切として知られていました。1982年に道路と線路が立体交差化され、開かずの踏切問題はようやく解消されますが、これだけ大きな規模の貨物駅でありながら列車の出入りが駅西側に限られることで、さまざまな制約が生じたようです。  現在は踏切跡には歩道橋が設けられ、この写真とほぼ同じアングルから貨車の入換作業や貨物列車の発着の様子を見ることができます。