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常磐線History vol.1


※鉄道博物館公式Facebookにて2020年4月6日に投稿された内容となります。

※該当記事のリンクは下部に記載。


 

常磐線は1889年に開業して以来 130年以上の歴史を持つ 首都圏を代表する主要路線です。

 しかし常磐線は開業当初から“常磐線”と呼ばれていたわけではありません。“常磐線”の名で呼ばれるまでに、何度も名称が変わったことが特徴として挙げられます。同線はもともとは東京と水戸を結ぶ鉄道として構想されましたが、すでに仙台の先まで開業していた日本鉄道(現在の東北本線など)の小山で分岐して、水戸へといたる水戸鉄道として開業します。通常、鉄道路線は起点側から建設されますが、常磐線の場合はまず水戸近辺が開業し、その後東京への路線と北へ向かう路線が建設されるという、独特の歩みをたどりました。

 開業後まもなくに水戸鉄道は日本鉄道に合併されて、以後の建設は同社に引継がれ、茨城県北部から福島県にかけての地域で産出する石炭を輸送するために、水戸から東京へと向かうルート、水戸から常磐炭田を経て岩沼で日本鉄道の本線に合流するルートの建設にかかります。この際に東京方は“土浦線”、岩沼方は“磐城線”として建設されます。途中大きな河川を渡る箇所はありますが、沿線は平坦な区間が多く急こう配区間や長大トンネルもなく順調に工事が進み、1896年には田端~友部間が、1898年には水戸~岩沼間が開通し土浦線・磐城線は全通しました。

 その後、両線と水戸鉄道が開業した区間は一体で列車が運行されるため、1901年に一括して“海岸線”に名称が変更されました。これには栃木・福島県内の内陸部を走る日本鉄道の本線に対し、より太平洋岸に沿って走る路線との意味合いがあったようです。さらに1906年に鉄道国有法により日本鉄道が国有化されたのち、1909年に“国有鉄道線路名称”が定められ、海岸線は“常磐線”へと名称が変更されました。海岸線と言いながらも海岸沿いを走る区間は意外に少なく、茨城県の旧国名・常陸と福島県の旧国名・磐城から一字ずつ取った命名で、以来100年以上にわたってこの名称が使用されてきました。

 このように複雑な成り立ちを持つ常磐線は、線路名称の変遷にもその複雑な経緯が反映されています。



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