常磐線History vol.3


※鉄道博物館公式Facebookにて2020年4月15日に投稿された内容となります。

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1898年に全線が開通した常磐線 当初の使命は沿線で採掘される石炭を 東京へ運ぶことでした。


 茨城県北部から福島県にかけて広がる常磐炭田は江戸時代末から石炭の採掘が行われてきました。しかし当時は船しか輸送手段がなく、天候に左右されるため輸送も不安定で、十分な開発が進まず規模も小さなものでした。しかし、常磐線の全通が様相を一変させます。

 国内の主要な炭田は北海道、筑豊、そして常磐炭田が知られていますが、常磐炭田は大消費地である東京に最も近く、輸送手段が確保されたことで一気に開発が進みます。北海道炭や筑豊炭に比べて常磐炭は発熱量の低い低質炭で、トン当たりの単価が低かったのですが、安いことを逆手にとって販路を広げたと言われています。

 常磐線各駅の中でも高萩、磯原、勿来、湯本、綴(つづら・現在の内郷)といった駅が主要な発送駅で、特に綴は長く石炭発送量日本一の座に君臨し続け、常磐線が石炭輸送を主たる使命とした路線であったことを如実に示しています。また東京側では隅田川駅が石炭到着量第一位の座にあり、各駅から送られた石炭は隅田川駅に到着し、さらに舟運を介して消費地へと送られていたのです。

 1枚目の写真は1920年の隅田川駅の構内線路略図です。右下に石炭部線という石炭専用の取卸し線があり、線路横には船渠(ドッグ)が設けられ隅田川から開削された運河を通じて運搬船が横づけされ、ここで積み替えが行われていました。

 このように常磐線は日本の近代化をエネルギー面から支えていたのです。戦後のエネルギー革命により炭鉱が閉山となったのちも、沿線には火力発電所や原子力発電所が数多く立地し、首都圏のエネルギー供給基地としての位置づけは、100年以上にわたって続いていくことになります。

(1枚目の写真)隅田川停車場線路略図 1920年『業務研究資料』第8巻第1号 (2枚目の写真)磯原駅に停車中の石炭列車 1961.9.23