常磐線History vol.5


※鉄道博物館公式Facebookにて2020年4月26日に投稿された内容となります。

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常磐線の大きな特色に 上野から近い位置で 電化方式が切り換わることがあります。


 常磐線は1936年に松戸(上野から15.7㎞)、1949年に取手(同37.4㎞)まで直流で電化され、通勤用の電車が走り始めます。しかしその後は、石岡駅西北約10㎞の柿岡に所在する、気象庁地磁気観測所の地磁気観測業務に直流電化が影響を及ぼすことから、その対策が必要となり取手以北の電化はなかなか進みませんでした。一方で戦後他の幹線の電化は徐々に進み、1958年頃には東海道本線は神戸まで、中央本線は甲府まで、高崎・上越線は長岡まで、東北本線は宇都宮まで電化が達していたのに比べて、常磐線は電化の面では大きく立ち遅れていました。

 その後、国鉄が開発を進めた交流電化技術が実用化のレベルに達すると、地磁気観測所への影響を許容範囲内に納めることが可能となり、取手以北は交流(交流20㎸、50Hz)で電化することになります。直流と交流の接続方式は電車が運用の主力となることや、地上切換方式による時間的なロスを解消することをねらって、取手~藤代間にデッドセクション(死電区間)を設けて、車上切換方式を採用することにした。

 東北本線の交直切換セクションのある黒磯は上野から159.7㎞、北陸本線の交直切換セクションのある敦賀は大阪から136.9㎞(湖西線経由)の位置にあり、これに対して常磐線は日暮里から42.122㎞地点にデッドセクションが設けられており、主要列車の発駅・上野からきわめて近い地点に設置されたため、列車の運行形態や車両計画に大きな影響を与えることになりました。

 上野~取手間の距離は39.6㎞で、直流用の通勤車両はここまでしか運転できず、その先へ直通するには交直流両用電車が必要になります。上野~取手間は中央線でいうと東京~立川間(37.5㎞)とほぼ同じ距離で、他線であれば直流用電車だけで賄うことのできる通勤輸送に、高価な交直流両用電車を多数投入しなければなりません。かつての401系・403系・415系、現在のE531系と交直流両用電車が通勤輸送に充てられてきました。また、交直流両用の荷物電車が製造されなかったため、荷物輸送には最後まで気動車が使用されたり、交直流両用電車の不足から、上野発の普通客車列車が1982年まで運転されたりと、他線にはない特徴的な車両運用が行われてきました。

 このように沿線に地磁気観測所という国際的にも学術的評価の高い研究施設が所在したことから、常磐線は上野に近い地点から交流電化され、それによって独自の車両や特徴的な運用が多く見られるという、他線にはない特色を有することになりました。

写真1枚目:取手~勝田間電化開通記念列車のテープカット 1961.6.1 上野 写真2枚目:取手~藤代間のデッドセクション 2019.8.5